

帝京高校の学校情報
所在地 | 〒173-8555 東京都板橋区稲荷台27-1 |
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学校名 | 帝京大学系属 帝京高等学校 |
公式HP | https://www.teikyo.ed.jp/ |
帝京高校ページのコメント以外の更新日時 : 2024/10/08 11:18:27
所在地 | 〒173-8555 東京都板橋区稲荷台27-1 |
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帝京高校ページのコメント以外の更新日時 : 2024/10/08 11:18:27
帝京野球部をみんなで応援しよう!
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9883応援コメント
結局金田監督は続投なんだろうね。
Comment ID: 19448
大会はまだまだ終わってないですがそろそろ岩倉高校の話題は落ち着きませんか?
先ずは外野である我々も秋に向けて帝京高校を応援していきましょう
Comment ID: 19447
岩倉の豊田監督って、生徒指導部長だってwikiに書いてあるけど。かつて指導した石川県の小松大谷(当時は北陸大谷)が最近甲子園行くまでになったから、思うところがあるのかな。
Comment ID: 19446
実際、野手陣は良いの揃ってるよ
でも投手陣がよくないと意味ないんよ。打線は水物だから
Comment ID: 19445
本当に打力が期待できるならもう主力になってるだろw
Comment ID: 19444
岩倉高校の佐藤君 四球は少ないのでコントロールは良いのです。
それが死球連発なのですよ。
↑
コンロールよくぶつけてたって事ですね。
変なタイミングでピッチャー交代したと思ったら、そんな狙いがあったとは…
岩倉の監督は胡散臭い顔してると前々から思ってたがその通りの人物だったか…
Comment ID: 19443
山村学園の2年生で4番バッターの畠山くんってすげーいい選手だと思ったら上里北武ボーイズ出身じゃん。当時畠山くんが3番打ってたようで4番ピッチャーだった平田くんも指導者が変われば相当すごい選手なんだろうね。笑
Comment ID: 19442
1番に目代くん置いて安藤くん、立石くん、蔦原くんのクリーンナップでお願いします。
それと島末くんにはめちゃくちゃ期待してます。
Comment ID: 19441
犯罪者が野球部の監督をしちゃいけないよね!
Comment ID: 19440
次の世代はかなり打力期待できるけどいい投手いるのかな?
Comment ID: 19439
帝京グループの人事権も前田三夫名誉監督が握っています。ご覧下さい。
帝京平成大・河野和洋監督が謹慎処分 泥酔し器物破損事件…松井秀喜5敬遠の投手 すでに依願退職
2022/10/7 22:11 配信
92年夏の甲子園、星稜・松井秀喜を四球で歩かせる明徳義塾・河野和洋
92年夏の甲子園、星稜・松井秀喜を四球で歩かせる明徳義塾・河野和洋
日本学生野球協会は7日、都内で審査室会議を行い、高校7件、大学2件の処分を発表した。
東都大学リーグ3部の帝京平成大・河野和洋監督(47)は、9月12日に泥酔して都内のマンションの入り口でインターホンを壊し、警察に事情聴取を受ける器物損壊事件を起こしたとして、同15日から3か月間の謹慎処分を受けた。大学の嘱託職員だった同監督は、同30日付で依願退職している。
同監督は、明徳義塾(高知)の投手として1992年夏の甲子園大会に出場。星稜(石川)の松井秀喜(元巨人)を5打席連続敬遠したことで知られる。
その後、この河野和洋は帝京科学技術大学で野球部の監督だかコーチで働いていますよ!
これも明徳の馬渕監督からの依頼だから断れないのかな?!
Comment ID: 19438
本当に故意のデットボールなのか、本当なら
高野連も絶対許してはならない.監督を処分
し明日以降の試合を辞退させるべきだ。
Comment ID: 19437
帝京第五も散った〜
Comment ID: 19435
大事なのは左腕を育てる事。
これだけで準決・決勝までは少なくともいける。
ショーベン球でもいいよ。
田代とか新垣、白石とかもショーベン球だったから。
丁寧に低めさえ突いてくれればショーベン球でも抑えれるから。
パスカルも現時点はショーベンだけど球上ずるから一発ブチこまれやすい。
理想は垣ケ原とか渡辺みたいな勢いある左腕ね。
Comment ID: 19434
早実の負けかたもなかなか酷い。
監督がルンバ
Comment ID: 19433
1点をしっかり取り投手からチームを整える藤井高校小林監督 遠く東京から応援しています
Comment ID: 19432
足りないのは投手育成力、采配かな
Comment ID: 19430
金田先生も野球部の子達もみんな大好きだからこそもっと頑張って欲しいです。
Comment ID: 19428
小倉→三木は成功してるよね?
では帝京に足りないモノは?
Comment ID: 19427
藤井高は1、2年中心のスタメン。練馬北リトルシニア他、地方からの選手も揃っているぞ。
Comment ID: 19426
岩倉高校の佐藤君 四球は少ないのでコントロールは良いのです。
それが死球連発なのですよ。まあ雪谷さんにバカスカ打たれてたくらいなので、帝京打線は怖かったのでしょうけど、やっていい事悪い事があり、それを教えるのが教師、監督なのです。前田監督はスレスレとか言ってた動画みましたが、死亡事故につながるような行動まではしてません。佐藤君この先、将来本当に生きにくい人生を歩んでいくことになるのではと危惧します。顔も名前も出ちゃってるわけですから。今後何十年語り継がれていくのですよ。秋から帝京はまた正々堂々戦って下さい。目代君や1年生諸君もそのようなプレーをやる側の学校を選ばないで大正解でしたね!
Comment ID: 19425
監督の人事って前田名誉監督に一任してるのかね?
学校側は。
Comment ID: 19424
帝京はもう甲子園に出る学校じゃない
Comment ID: 19423
元コーチの小林さんの藤井高は、準決勝まで進んでいる。
Comment ID: 19422
突然の前田物語は何?
Comment ID: 19421
「あの頃の前田はんは若かった。勢いだけでは勝てんことを、あの試合で知ったんやないかな。ワシも若いころは何回もはね返された。けど、この人はいつか甲子園で優勝すると思うた。対談した時、野球に対する情熱はすごいと感じたわ」
鼻っ柱をへし折られた前田は以降「蔦文也」という存在を監督業の支え、目標として精進する。
蔦との対戦をきっかけに、教員免許の取得を思い立った。それまで「監督」と「教師」を兼ねることをためらっていた。だが「選手だけを鍛えるのではなく、自分自身も鍛えないといけない。そうじゃないと相手の監督には勝てない」。自分自身を鍛えることとは「自分が一番、苦労することをやること」。通信教育で5年かけて教員免許を取り、蔦がそうだったように教壇に立った。
通信教育を受けている途中の1985(同60)年春に2度目の準優勝。教師となった後の1989(平成元)年夏、蔦が思った通り、前田は初の甲子園制覇を達成した。この時、監督18年目の40歳。快進撃の始まりだったが、勝負にこだわるあまり、思わぬバッシングを受けることになった。 (敬称略)
■前田三夫(まえだ・みつお) 1949年6月6日生まれ、65歳。千葉県袖ケ浦市出身。木更津中央高(現木更津総合高)を経て帝京大卒。高校時代は三塁手で甲子園出場経験はなく、大学時代は公式戦出場なし。大学卒業と同時に帝京高野球部監督に就任。1978年春のセンバツで甲子園初出場。甲子園での成績は春は14回出場で21勝13敗、優勝1回。夏は12回で30勝10敗、優勝2回。通算51勝は歴代3位タイ。
Comment ID: 19420
「スパルタ指導」を糾弾された2度目の職員会議で、前田三夫は「1年以内に甲子園に行けなかったら辞めます」と宣言。公約通りに1983(昭和58)年春の甲子園への切符を手にした。だが、監督解任という窮地を乗り切り、勇んで乗り込んだ舞台で、強大な壁が立ちはだかった。
この大会、前田が率いる帝京の前評判はよく、「東の横綱」と呼ばれていた。「西の横綱」が、あの蔦文也の池田(徳島)だった。
その前年の夏に圧倒的なパワー野球で全国制覇を遂げた蔦にとっては、夏春連覇に向けて驀進する大会だった。その横綱と初戦でぶつかることになったが、前田には倒す自信があった。しかし、主催新聞社の対談企画で初対面の挨拶を交わした瞬間、蔦の存在感に圧倒された。
「世の中には、こんなすごい監督がいるのかと…。監督としての器が全然違うと…」
20年の歳月をかけて甲子園初出場にこぎ着けた蔦は、30年が過ぎたその頃、まさに頂点に君臨していた。パワー野球で高校野球に革命を起こした老将と、まだ33歳の若き前田とは、苦労の度合いも、顔に刻まれた皺の数も違っていた。そんな相手に勝って「優勝なんてできるわけがない」とすくんだ。この時点で負けていた。
試合は0-11の完敗。池田はこの大会で夏春連覇を達成。蔦は監督を退いた晩年、前田についてこんな話をしている。
Comment ID: 19419
「スパルタ至上主義」が全盛だった時代に監督になった歴代の名将たちは、時代の変化に戸惑うことも多くなった。そんな1人である前田だが、甲子園大会で3度制覇した時を除き、選手に笑顔を向けたことがほとんどない。兵法の達人である宮本武蔵に憧れ、その影響を受けているという。
「監督が、うれしさを表面に出してしまうと、次の敗戦につながってしまうと思うんです。自分には選手の前で笑うことはできない」
監督生活45年目の65歳ともなれば、時代の流れには敏感。時には選手に冗談を飛ばすこともある。だがグラウンドでの厳しい表情は、今も変わらない。
「監督は、常に選手と真剣勝負をしていなければいけない。そうじゃないと他のチームとの勝負にも勝てない」
選手との距離を縮めようと努力する監督が多くなった時代に、昔気質の前田の姿勢は際立っている。 (敬称略)
■前田三夫(まえだ・みつお) 1949年6月6日生まれ、65歳。千葉県袖ケ浦市出身。木更津中央高(現木更津総合高)を経て帝京大卒。高校時代は三塁手で甲子園出場経験はなく、大学時代は公式戦出場なし。大学卒業と同時に帝京高野球部監督に就任。1978年春のセンバツで甲子園初出場。甲子園での成績は春は14回出場で21勝13敗、優勝1回。夏は12回で30勝10敗、優勝2回。通算51勝は歴代3位タイ。
Comment ID: 19418
高校野球界の「悪役」に甘んじて逆境にさらされようと、前田三夫には確固たる信念があった。
「選手も私も試合に勝ちたいと頑張っている。監督が勝負にこだわらなかったら、選手は何のためにやっているのか分からなくなる。みんな必死にやっているんです」
高校野球は確かに、プロや大学・社会人野球とは違う。選手がまだ16歳から18歳の“半分、子供”で、高野連が言うように「教育の一環」であるからだ。だが逆に、そんな時期にしか人間教育はできない。高校の3年間でいかに選手の人間性を磨くことができるか。それが高校野球の指導者の評価でもある。
監督として、そんな認識があるからこそ、前田はあえて「厳しい監督」に徹している。言い方を変えれば、演じている。
「選手に好かれたい、なんて思わないんですよ。そんな監督にはなりたくないんです。高校野球というものは、笑いながらやっても勝てる世界じゃないんですよ」
高校野球の監督とは「孤独」な商売。相手がまだ大人になりきっていない高校生だけに、最近は笑顔で選手との調和を重視する監督が増えた。選手とのコミュニケーションをとらなければ、単純に言えば、勝てない時代に入って久しい。
かつて「スマイル」で話題になった尾藤公(元和歌山・箕島監督)や上甲正典(元愛媛・宇和島東、済美監督)が、あの笑顔は甲子園大会だけのもので、普段は鬼の形相で鍛えていたことは以前に紹介した。
Comment ID: 19417
万感の拍手に男泣き……
話を1998年に喫した前田の敗戦に戻そう。「作ってもいいから、自分のスタイルを貫くことが大事」。「強いチームの原点は負け。負けて、そこから立ち上がらないと強くなれない。だけど、いつどこで負けるかが難しい」。前田の言葉であるが、この負け方を前にして、勝ち負けの意味も、自分のスタイルもわからなくなっていた。
休暇をとった前田が、ワラをもすがる思いで回復の地に選んだのはアメリカ。ワールドシリーズ観戦だった。全力プレーのメジャーリーガーをスタンディングオベーションで奮い立たせる観客たち。心の氷がとけていった。「正々堂々と戦おう。勝っても負けても観ている人が応援してくれる、感動してくれるチームを作ろう」。49歳にしてそう思った。
2006年夏の準々決勝。その思いは名試合を生む。相手は智辯和歌山。劣勢の9回表に8点を挙げ4点差をひっくり返すも、投手を使い果たした9回裏に5点を奪われ12対13でゲームセット。終盤、突如動いた死闘にスタンドはスタンディングオベーション。ふりそそぐ拍手のなか、前田は男泣きしていた。
「勝たなくてはいけない」。「勝つことでしか得られないものがある」とよく言われるが、勝敗の意味とは何なのか。最初からその答えをわかっている者はいない(おそらくは最後までわからない……)。やり続け、その都度の思いがあるだけだ。これでいい、と。
移り変わる時代気質のなかで、ひとりずつ違う高校生を相手に迷いのなかやってきた。スタイルは貫く、と鼓舞しながら。一国一城の主には言い訳や愚痴は許されない。言いたいことを口にしても本心は伝わりにくいだろう。潰れていった高校生を思えば、涙も許されない。孤独だ。逆境に「こんちくしょう」と踏ん張るしかない。男の顔にはシワが深く刻まれ、人間くさい表情となる。大工の棟梁、漁師のおやじ。前田にはそんな言葉がぴったりとくる。
最近、帝京は甲子園から遠ざかっている。スパルタのイメージが時代のムードに敬遠されているのだろうか。一昨年の夏は東東京大会の決勝で延長の末に敗れた。今春の都大会でも準々決勝を延長で落とした。前田の神通力はなりを潜めてしまったのか。120キロで爆走するブルドーザーのようなかつてのパワースタイルに、前田が掴んだ人情を乗せた帝京の姿を甲子園で観てみたい。
(敬称略)
Comment ID: 19416
頑固者が野球を見失った日
前田の野球はパワーとスピードで圧倒的する一方、「勝つためには手段を選ばない」と揶揄されてきた。ラフプレー上等とばかりに乱暴なプレーを臆せずにやった。勝つんだ! 強ければいいんだ! 勝利への執念は批判に揺らぐことはなかった。いつしか甲子園きってのヒールと呼ばれるようになっていた。スパルタの根性論が当たり前とされ、ぎりぎりのラフプレーが「上手い」と言われていた時代だった。が……。1995年を境にターニングポイントが訪れる。
1995年、激しい練習に嫌気がさしたレギュラー3年生3人が、夏を前にチームを離れた。迎えた東東京大会では「控えの投手に経験を積ませるため」とコールド勝ちとなるランナーを三塁にとどめおき非難された。優勝候補として乗り込んだ甲子園ではラフプレーにブーイングが起こった。周囲の白い目に囲まれながら手にした優勝には冷え冷えとした空気が漂っていた。帝京の優勝にスタンドはしらけた。縦縞のユニフォームは憎まれっ子として甲子園を去った。
1983年春に「東の横綱」として初優勝を狙うも、1回戦で蔦文也監督の池田に大敗した時には監督の風格の差、パワーの差に愕然としたが、へこたれることはなかった。「よし、やってやろう。いちから土台を作り直そう」といった気持ちに燃えていたことだろう。
しかし、この時は違った。何をすればよいのか迷った。「勝たせてやる!」というスタンスを控え、選手の自主性を重んじるように方針転換した。そうして臨んだ1998年の夏……。前田の心を決定的に凍てつかせる出来事が再び起こった。2回戦で敗れた選手たちが涙ひとつ流さずに「やっと終わった」と喜んでいたのだ。どんなに非難されても曲げなかった心にひびが入った。何があっても胸のうちに収めて我慢できたが、耐えきれぬすきま風が吹いた。勝てばいいんだという男が、野球を見失った。この年の秋、前田は初めて休暇を取った。
強いだけではダメだ。みんなに応援されるチームを作らなければ……。
Comment ID: 19415
22歳、部員4人の春
前田三夫。帝京高校監督。1949年生まれ。今夏の甲子園へ向けた東東京大会が始まる頃、前田は67歳になる。1970年代後半にいちから作り上げたチームで甲子園に乗り込み、10年ほどで「東の横綱」の座についた血気盛んな青年監督は今、現役高校野球監督最古参のひとりとなった。たびたび「悪役」「ヒール」と非難されても釈明せず、自分の思う信念を(迷いのなかで)貫いてきた。まごうことなき昭和の頑固親父、絶滅寸前となった古いタイプの男である。
前田が帝京の監督になったのは22歳。1972年1月、大学4年生の時のことだ。前田は木更津中央(現木更津総合)を経て進んだ帝京大野球部では一度もリーグ戦に出たことのない下手くそな選手だったという。「やることがない」から母校の練習を手伝っていたところ、運良く監督の座が空席となりお鉢が回ってきたというわけだ。
部員を前にした前田は言った。「俺が甲子園に連れていく!」。当時の帝京は甲子園を夢見ることもない普通の野球部。部員たちは大笑いした。頭に血がのぼった前田はスパルタの猛練習を課す。3週間後。30名ほどいた部員は4人になっていた……。
しかし、頑なな思いは無理矢理甲子園への扉をこじ開ける。バッティングケージひとつなく、サッカー部と狭いグラウンドを分け合う悪条件をものともせず、就任3年目の1974年秋には都大会で準優勝。1975年春には優勝。1977年の秋には準優勝を成し遂げ、翌1978年にセンバツ初出場を果たすのだ。1989年にはエース・吉岡雄二を擁して甲子園初優勝。以来、春夏通算で優勝は3回、準優勝は2回を数え、歴代3位の51勝を積み上げてきた。
Comment ID: 19414
とにかく、目代クラスが来てくれてうちに、とにかく甲子園へ行かないと、マジでもう帝京にはポテンシャルの高い選手が来なくなるんじゃないか?
金田監督を悪く言いたくないが、このままでは厳しいと思ってしまうわ。
Comment ID: 19413
このまま関一が甲子園に行けば一昨年と帝京優勝(大会はコロナで中止)の2020年を除き、東東京は関一か二松学舎に行けば在学中に一度は甲子園に行ける!と有力選手も思うよね。
野球部じゃないが、実際友人の子は吹奏楽部として甲子園でアルプス応援したいと言う夢が叶ったと喜んでた。
Comment ID: 19412
過去に甲子園かどの試合か忘れたが、セカンド走者がユニフォームのズボンが破れるくらい負傷した時には前田監督が選手をおんぶしてベンチまで運んでいました。
今の金田監督はできますか?
叩きばかりで悪いんですが、このままではあと3年後も変わりませんよ!
せっかく寮も作っても指導者が変わらないと選手は集まらないからね。
選手は高校生活が3年間しか時間がないから自ずと他校の甲子園出場校に流れてしまう。
昔は3年間のうち少なくても2回は甲子園に出れていたのに、そんな昔話になってしまいましたね。
奈良原さん監督お願いします。
Comment ID: 19411
【超越】【超前半型『初回から点を取ろう!』】
一試合も達成出来ず。自分に負けた。
掲示板と同じ、言うは易く行うは難し。
Comment ID: 19410
いやー、監督ってのはそうポンポン変えられるもんじゃないのよわかってると思うけど笑
監督が変わればチームのスタイルも変わる。今のスタイルならと送り出してくれるシニア、ボーイズらに申し訳ないからね。下手に変えると逆に選手が集まらなくなる可能性だってある。
まぁ今後の進退については金田も流石に考えてるだろうし、金田が監督として一皮剥けるか、数年後新しい監督に変わるまで甲子園はないな。
Comment ID: 19409
抗議も出来ない金田監督は退陣すべきと思います
4個に連続4個の故意のデッドボールに対して舐められぱなしの対応でした
選手は鼻血を出すほどの被害を受けたにもかかわらず頑張っている姿は見てて気の毒になりました
前田監督の時代なら、そもそも故意のデッドボールは投げてこなかったでしょう
このような指導者のもとでは申し訳ありませんが甲子園はきっと無理だと思います
大英断を期待しています
Comment ID: 19408
やはり、岩倉の死球の件、色々な方面で物議を出してますね。
コントロールがいい投手じゃないのに徹底して、帝京打者に死球覚悟?の内角攻め。
ただ、チャンスをモノにしなかった金田監督の采配にも問題あると思います。それほど徹底して内角攻められてるなら、ボックスでの構えをスタンス広げて踏み込み足を外側にして対応するとか、もっとバラエティに富んだ事しなきゃ勝てないのでは?
球数投げさせて自滅させなきゃ。多分、あの投手なら1打席に何球か投げさせれば自滅するタイプですよ。
言ってもタラレバで、帝京は6失点してるわけです。完全に負け試合だし、向こうのが力が上だったとしか思えないです。
私は気掛かりなのは、梅景君の今後の野球人生にトラウマにならなければいいなと心配してます。 梅景君は「金田監督を甲子園に連れて行けず申し訳ない…」と号泣したそうで…。
そういう意味で金田監督はもっと抗議すべきだし、岩倉の監督にふざけんな、ぐらい言ってもいいと思いますよ。
金田監督は人が良すぎです。闘将にならなきゃ今の東京で甲子園は無理でしょう。
金田監督が変わらなきゃずっと繰り返して、あと5年後には3回戦ぐらいで負けるような帝京になると心配してます。
Comment ID: 19407
以下の岩倉の監督のコメントに対して
じゃあ帝京側がいい加減にしろよ!と監督なり選手が圧を見せたら内角攻めを辞めたのか?
ふざけてるな、そして金田さんはまだ若いし穏和な風貌だから舐められたって事だよな。
金田監督続行なら、例え判定覆らなくても淑徳戦で主審に対しても声を荒げた市原さんくらい秋は闘志を持って挑んで欲しいね。
Comment ID: 19406
岩倉豊田監督コメント「正直当てすぎた、大変申し訳ないです」「帝京さんはフェアプレーで、圧がなかったので、最後まで内角を攻めきることができました」、ずいぶん舐められたもんだな。
Comment ID: 19405
岩倉2年バッテリーは色んな記事で美談化されていますがコメント欄は全く否定的なものが多いです。名前は知られてしまいましたし、この先ちょっと逆に心配ですね。高野連がものを言わないのは死球を容認しているということです。打たれたくないバッターには死球でも良い。という高野連の判断です。この先親が野球をやらせなくなり、ますます高校野球が廃れていくのでは?と不安です
YouTubeにも岩倉死球の動画がありましたがちょっとダメだという話でした
Comment ID: 19403
佐藤の親の顔が見てみたいな!
Comment ID: 19402
もし、岩倉と帝京が反対の立場で帝京投手が岩倉の4番に4四球、うち一つは頭部。合計7死球で、金田監督が岩倉の監督のようなコメントを出したら、ここのオールドファンは大激怒だろうな。庇う要素もないし、帝京ファンを辞める人も続出しそう。
Comment ID: 19401
帝京の二年生で、佐藤投手の知り合いいるんじゃねえ?そいつに会う段取りつけてもらって、思いの丈をぶつけたらええ。ここに書いても仕方ない。
Comment ID: 19400
奈良原さん、河田さん辺りが監督をやらないと一生勝てないよ!
金田監督はまだ経験が浅いし、コーチレベルだから現状帝京は甲子園出場すら無理です。
Comment ID: 19399
この掲示板に書いてる思いを学校ないし佐藤くんに直接言いなよ。明後日神宮球場に行ってさ。言えばスカッとするぜ。
Comment ID: 19397
同じ打者に4死球で、頭部もあり、審判から注意され、岩倉の監督が試合後に金田監督に謝罪、佐藤のコメントは「内角を徹底的について打ち取る」って、もう完全に故意だろ。
Comment ID: 19396
岩倉OBさんの文章を見て、喧嘩を売りに来たとしか思えない。帝京と岩倉の対戦で、岩倉が勝った 2試合を描写する意味は?この試合では帝京の誰選手の活躍に目を見張り、この試合では帝京のB投手の力投が深く思い出に残っていますと相手を立てるものではないか?
帝京野球部を見下しているのはよくわかりました。
Comment ID: 19395
息子の友達が過去に死球で野球が出来なくなった通りすがりの者です。
バットがあたったから、制球難でうちも3死球もらったから。怪我人が出てもおかしくない試合だった。って話ではないのさ。1人の打者に対しての4死球ってのが問題なんじゃないのかな?未熟な少年野球や中学野球でさえ1人の打者に4死球は狙わなきゃ出ないよ。何なら審判に注意されたらピッチャー変えるわ。
本当に故意じゃ無かったとしても、故意と見られてしまうのは当たり前。わすが1球でも当たり所が悪ければ息子の友達のように野球が出来なくなる。なのに100キロ以上の硬式球が4球も。しかも頭にまで。あの4死球で選手生命が生命自体が絶たれた可能性だってある危険過ぎる行為。
あの4番の選手、今日は身体大丈夫だったのだろうか?心配でなりません。
彼の今後の活躍を願うばかり。
Comment ID: 19394